2009年04月10日

東京は夜の7時


2歳の子供を保育園にお迎えに行きましたところ

教室の入り口のところでへばりついている姿を発見。

そこには、小さな子供の安全のために木のゲートが設置されていて

木のゲートの隙間からへばりついているうちの子が

軽く「囚人」にも見えて

なんだか笑ってしまいました(*^_^*)




今日はその後、人に会いに行きました。

東京から出張で来られていた方に、連絡をいただいたのです。

私が熊本に帰ってきたのは、もう5年も前のことです。

なのに、「熊本来たよー遊びに来てー」と

今年に入って、このような連絡をいただくのも4人目ですピカッ

子供もいるし、大したおもてなしも出来ませんが

本当に、本当に有難いなーと思います。




自分、実はずっと英語を専門に勉強していまして

将来は翻訳家か通訳になろうと思っていました。

当時、世間は国際人ブーム。

熊本にも英語教室が増えて、「先生」と称する外国の人と話す機会も多く

同世代のアメリカやヨーロッパの友達と話をしていて思いました。

「この人たちは我の強か」と。

キャラが濃い~のです。みんな。

逆に気付きました。20歳の時。

「私には『私はこれです』、と言えるものが何もないなー」と。

心の中を追求していくと、英語は何かを伝える「手段」であって

私はこの「何か」を確立しないといけないと



それから自分の本当に好きでやり甲斐のある仕事がしたくて

熊本にはない職種でしたので

熊本を離れて東京に行きました。

で、結婚を機に戻りました。

東京での13年間、孤独だけど自由で

本当に好きでやり甲斐のある仕事に打ち込んで経験したことが

今の私の大きな力になってくれています。

20歳の頃、もがいていた私のこと

嫌いな時期もありましたが、今思えばあの時もがいて苦しんだものが

今の私の全ての礎をしっかり築かせてくれているんだなーと。

そして今も東京から連絡をいただくたくさんの仕事仲間に感謝します。



熊本でもがんばらなんね。

で、多分もう東京には戻らんけん!

なーね!







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この記事へのコメント
おはよう

そがんです!
英語は何かを伝える手段!

それに気づいた私は
なんともへんてこな
英語で2年間のアメリカ生活を
過ごす事に・・・

英語は下手だったけど
我はインターナショナルでした(^^;
Posted by ごっちゃんごっちゃん at 2009年04月10日 06:09
良い経験をされたんですね~
そんな経験も無く 直ぐに結婚してやっちろへ来たので・・・
なんもないです (o´ェ`o)ゞエヘヘ
今あるのは 出来のいい息子とたのしい我家かな~
息子は 離れて暮らしてますけどね~

SL 見に来てね~ 待ってます♪
Posted by ひろごん at 2009年04月10日 14:49
そうですね~!あの時があるから今の自分があるんですよね^^
私も東京にて働いていた時は「がむしゃら~」でした・・・
嫌いな時期もあり・・・ってわかります!うんうん。
ほんと、仲間には感謝!
こっちでも、がんばらなきゃですね☆

あ、「囚人」にぷっと笑ってしまいました~^^
弟君でもそのうち見れるかな?
Posted by トラミシン at 2009年04月10日 15:59
気がつくと、自分のために轢かれたレールの上を
歩いてみたり、新幹線に乗ったりしながら、ゆっくり ときには
早~く しっかりと進んでいるんでしょうね(^^)v

人との『ご縁』 感謝ですね。
つくづく思います。

なかなかお会いできないでいますね。
もしご都合がよかったら、来週水曜日に
お会いしたいです。

いかがでしょうか。
Posted by tapstaps at 2009年04月10日 18:00
ごっちゃん、
アメリカや外国で日本人同士つるむ人たちもいて
それももちろん悪いことじゃなかけど
ごっちゃんは貪欲に「自分が知らないたくさんのことを学びたい!」という
姿勢があったんでしょうね。

日本の格闘技もしよったし(*^_^*)
アメリカで出会った人たちは
「あの日本人は何だったんだ?!」て
ビックリさしたでしょうね~
前に話聞いて、それが真の国際感覚だねって思いよったよ。
言葉より相手に伝わるものはあるもんねー。
Posted by sasaki at 2009年04月11日 05:49
ひろごんさん、
もし相手がおったらすぐ結婚でもよかったとです(*^_^*)
ばってん相手がおらんだったですもんね・・・
だけん仕事に逃げました。

私はお年頃の時にあることがきっかけで
周りの同級生の男の子がとても子供に見えてイライラした時期があるとです。
早く大人になりたかったのですが
大人には子供扱いされて、対等に話してもらえず
自分で早く何かを身につけて大人になりたいと
焦っていたのだと思います。
足りないのは経験だ!とステップアップばっかり考えて
かなり合理主義の不器用なおバカさんだったなーと思います。

遠回りしましたが、何でも経験するのはいいことですね・・・
Posted by sasaki at 2009年04月11日 05:58
トラミシンさん、
武蔵小山時代は仕事ばっかりだったです。
それを望んでいました。
ハードだったけど仲間に囲まれて楽しい毎日でした。

こっちでもがんばらなんです。
もし万が一別れたらまた東京に戻ろう!と思っていましたが
結婚して5年でやっと腹はくくれました。
もう帰る場所はここだけと決めてがんばっています♪
Posted by sasaki at 2009年04月11日 06:08
tapsさん、
結婚はかなり急に決まったので
今までの仕事仲間には
かなり迷惑かけて帰ってきました。
東京で結婚していたら今までのキャリアを活かして
いきたかったんですが・・・残念です。

その分、私が熊本に帰るのを手放しで喜んだのはうちの母です。
今は仕事は私任せでボランティアや趣味に
毎日大忙しの様子です。
そんな年のとり方もいいかな・・・と思います。

あとはメールを送らせていただきますので
よろしくお願いいたします!
Posted by sasaki at 2009年04月11日 06:15
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